「そろそろ帰らない?」
 美坂が週番日誌を書き終えた俺に言った。
「ああ、これを出したら帰るよ」
「そう」
 筆記用具を片付ける俺に軽く返事をして、ちょこんと机の端に腰をかける美坂。夕日に照らされた顔が、少し眩しかった。
 荷物をまとめて鞄に収めたところで、
「それじゃ行きましょ」
と言って、腰かけていた机から立ち上がり、美坂はすたすたと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待てよ」
「やぁよ」
 くすくす笑う美坂に、『なんで待ってくれたんだ』と訊こうとしていた俺の気勢が殺がれてしまったのは、どうしてだろう。

 職員室に週番日誌を提出するときも、美坂は俺に付き合ってくれた。週番日誌を石橋に返して、職員室を出ようとしたときに窓からちらりと見えた。
 職員室の外で、壁に背中を預けて校庭を眺める美坂。
 何を考えているんだろう。
 横顔に浮かんでいる美坂の表情が判らなくて、俺は何て声をかけようか迷う。
 結局何も思いつかないまま、俺は職員室の扉を開けた。
「あ、やっと出てきたわね」
「1分も入ってなかっただろ?」
「そんな事ないわよ。待ちくたびれたわ」
 美坂はさっきまでの表情から変わった。何がどうとは言えないけれど、何かが、微妙に。

 校門を出て、なんとなくお互い無言で歩みを進める。
 途中までは同じ帰り道。一緒に帰るなんて滅多にない。こうして二人っきりだなんて、初めてだ。
 何を喋ろう。なんて声をかけよう。
 職員室から出るときに見えた美坂の表情が気になって、俺はずーっと考えてた。だけど何も思いつかなくて、だから無言。
 美坂も何も喋らない。何を考えているんだろう。何を思っているんだろう。
 知りたい。美坂が何を考えているのか。
「なあ……」
「あ……」
 声をかけようとした瞬間に、美坂はタイミング良く声をあげた。
 美坂の視線を追いかけて、俺も前を見る。
「あいざわくん」
 妙に平板な発音。美坂は水瀬を始めとする数人の女の子に囲まれている相沢を見ていた。
 美坂に目を向ける。押し殺したような無表情。
「……なあ、美坂」
 相沢達と一緒に帰るか、と提案しかけた俺の腕を美坂は引き止めた。
「北川君、今日は駅前に寄って行かない?
 丁度行きたかったのよ。独りで行くのも寂しいし、ね?」
 満面の笑顔。一瞬前とは正反対の表情を浮かべた美坂が強引に俺の右腕を抱き込んだ。
「ちょ、ちょっと! おい、美坂?」
 駅前は商店街とは逆方向だ。相沢たちとも逆の方向に歩いて行くことになる。
「何よ、つきあってくれないの?」
「付き合わないことはないが」
「はっきりしないわね」
 笑顔がちょっとした膨れっ面になって、美坂は拗ねた。その表情が少しだけ可愛く感じられて、俺は少し赤面したかもしれない。夕日が有難かった。
 俺達は駅前に向かって方向転換したけれども、相沢たちは結局俺達に気付くことは無かった。

 駅前への通り道、美坂はそれまでの笑顔が嘘のように俯いてしまった。
「ごめんね、北川君」
 ぽつりと、彼女が言った。
「私ね、今相沢君と顔を会わせたくないの。ごめんね」
 どうして謝るんだ、とは訊けなかった。美坂の表情を見たら、相沢と何かあっただなんて一瞬で判る。
「まあ、そういう事もあるさ。今日は美坂の憂さ晴らしにとことん付き合ってやるよ」
 だから俺は出来る限りの笑顔で言ったんだ。