私には、大好きなお姉ちゃんにも内緒の、ちょっとした秘密がある。
好きな人が居ること。(最近になって、これは秘密でも何でもなくなった。判ってないのは当事者の祐一さんだけだと思う。それはそれで悲しいんだけど)
公園で祐一さんをスケッチした絵を、祐一さんには「恥ずかしいから是非止めろ」と言われたんだけど、内緒で部屋の隅に誰にも見えないように飾っていること。
そしてその絵の裏に『本当に大好きな人』というタイトルを書いていること。
モデルになった祐一さんは、この絵の出来について
「まあ、栞らしいな」
としか言わなかったけど(これって酷い言い方なんじゃないだろうか?)、私は良い出来だと思っている。
確かにデッサンは取れていないところも無きにしも非ずだし、ぱっと見恐怖を植え付ける事が万一あるかもしれないというような所がある絵かも知れないけれど……ううん、絵にこめた祐一さんに対するこの暖かい想いは、はっきりと読み取ることが出来る。この絵を見るだけで、私はこれを描いた時の、祐一さんを見ているだけで湧き上がってきた胸を暖かくしてくれるあの気持ちを思い出すことが出来る。
私はその暖かさに触れて、どんな時でも元気になることができる。
気が付いたらこうだった。いつのまにか、私の中の重要な場所で大きすぎる存在を主張する祐一さんになってしまっていた。
今の私は、祐一さん無しでは1秒だって耐えられない。だって祐一さんが去ってしまう事は、私の重要な一部分を根こそぎ持って行かれてしまう事だから。
私は手で胸をそっと抑えて祐一さんのことを想う。これが最近の私の日課。儀式と言っても良い。すると、何ともいえない感触が胸を締め付ける。病気で苦しんでいたときみたいに、心臓がきゅっと締め付けられるような不安になるようなそんな感触。だけど、命にかかわるような切羽詰った不安じゃなくて、切ないような暖かいような言いようの無いそんな感じ。手で胸を抑えるのは、その想いが私をさらって行ってしまわないように。そうしていないと、想いに負けた私は矢も盾もたまらずに祐一さんの許に行って帰ってこられないような気がするから。
私は、祐一さん、あなたを愛しています。何度そう言いたかっただろう。
だけどその言葉を、一度として祐一さんに向けて言った事が無い。祐一さんの前に立つと、それだけの言葉がどうしようもなく野暮ったく感じられてしまうから。祐一さんの傍に居る、それだけで『私』の全てがどうしようもなく満足を感じてしまうから。
つまるところ
「栞」
とあの人が優しく呼びかけてくれるだけで、それだけで私はもう何も要らないのだ。
そんな私に
「……相沢君は、やめておきなさい」
などと、お姉ちゃんはよくも言ってくれた。私の答えは
「いや」
しか無いに決まってるじゃない。
お姉ちゃんはちょっと呆れ顔。失礼な。私は真面目に答えたのに。
「あのねえ栞。病気の事で相沢君に恩義を感じるのは判るわ。私も、相沢君には言いようも無いほど感謝してる。だけどね、それと恋愛ごとは別なのよ?」
お姉ちゃんお得意の、私に因果を言い含めるときの口調。
「そんな事は解ってるよ。でも、そんな事を抜きにしても、好きなんだから仕方ないじゃない」
私の言葉を聴いてお姉ちゃんは赤面した。お姉ちゃんはいつも大人びていて格好良いのに、こういう事には本当に疎い。ちょっとした事で赤くなったり泡を食ったりしている。
お姉ちゃんのこういう所が、ちょっと可愛いなといつも思ってる。本人にそれを言ったら怒られるんだけど。
「で、でもねえ……あなた相沢君と名雪の間に入り込めるの?」
お姉ちゃんは腰に手を当てた『あたしは怒ってるのよ』というポーズを取り繕った。赤面が直ってないもんだから、ちょっと笑ってしまいそう。
「こんな事言いたくないけど、あの名雪はかなりの強敵よ? 相沢君も名雪と離れるつもりは無いみたいだし」
うぅ……お姉ちゃん、痛いところを突いてきた。そりゃあ、確かに祐一さんの位置は名雪さんに一番近いけど……でも、そんなことだけじゃ 無いんだよ。
「でも、祐一さんにはくっつくつもりも無いみたいだよね。だから私、諦めないよ」
「はぁ……まったく、あなたには何て言えば良いのかしら」
あ、お姉ちゃん人差し指をこめかみに当てて『あぁっ、もう! 頭痛いわね』のポーズ。
「お姉ちゃん」
「何よ?」
「心配してくれてるの、とっても嬉しいんだよ」
「だったら」
お姉ちゃん心配顔……ごめんね、お姉ちゃん。困らせちゃうの判ってるんだけど、私はこう言うしかないの。
「でもね、仕方ないの。私は、もう、祐一さん無しじゃ駄目なの」
「栞……」
「だって、私の%は、祐一さんへの想いで出来てるんだから」
「……栞、それじゃあ口から相沢君がはみ出てるわよ」
「お姉ちゃんっ! ここは茶化す所じゃなくて感動する所だよっ!!」
苦笑いしながら、とんでもない事を言ってくれたお姉ちゃん。
思わず想像してしまう。私の数十倍もある祐一さんを、一生懸命に口から飲み込もうとしている所。……無理だ。無理だけど、祐一さんとひ とつになれるのなら、それで祐一さんを独り占めできるのなら、なんとなく私がそうしたい気持ちが解らなくもない。
こう考える事自体、本当に祐一さんに狂っている証拠なのかもね。
「うん……でも、似てるかも」
「何が?」
「私の心の中で、どんどん祐一さんが大きくなってゆくの。こうしてる今だって、ちょっと油断したら祐一さんへの気持ちがね、こう、爆発しそうなの」
私は両手で爆発を表現した。私の気持ちの爆発は、夜空の花火みたいに綺麗だろうか? それとも、もっと……
「栞。辛いわよ?」
悲しそうな表情で、お姉ちゃんが。こんな表情、前にも見た事があった。できれば、もう見たくなかったんだけど。
「わかってる。祐一さんは私に振り向いてくれないかも知れない」
お姉ちゃんも頷いた。でも悲しい言葉は出してくれない。それが少し、私を嬉しくして、また悲しくさせてくれる。
「でもね、振り向いてくれないかも知れないから諦めるなんて、私には出来ないの。
諦めなかったから病気だって治ったんだもの。祐一さんの1人や2人、振り向かせてみせるからね!」
拳を握って、ファイトのポーズ。
本当は名雪さんの専売特許だったんだけど、これくらいは取っちゃっても良いよね? 今、名雪さんは祐一さんを(あくまでも一時的に)取ってるんだから。
「……栞」
お姉ちゃんは、ちょっとだけ悲しそうに顔を歪めたあと、私を抱きしめてくれた。
優しい抱擁。大好きなお姉ちゃん。泣かせちゃって、ごめんね。
鼻の奥につんとした何かが来かけて、私は慌てて言葉を出した。
「お姉ちゃん、今日は話そう! お姉ちゃんの部屋で、一晩中。
いろんな事、お姉ちゃんに言いたい事あるんだよ。お姉ちゃんの話も聞きたいし」
雨が降りそうな心の中でちょっと湿っぽくなりかけていた声は、急いで心の中から取り出したおかげでちゃんと乾いてくれていたようだ。お姉ちゃんに泣き声を聞かせたくなくて、私はその事に安心した。
お姉ちゃんは「うん」と一言だけ言って、きゅっと私を抱く腕の力を強めてくれた。
第2回。
前回の続き……のつもりですが、ちょっとシリアス風味。
終ってないけど、やっぱり続くんでしょうか?
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