真琴の忘れ物を届けに、朝のSHR後に行った祐一の教室で偶然見かけたもの。
 祐一と香里のキスシーン。いや、あれは一方的に祐一が香里を求めていたものだった。香里だって拒んでいなかった。
 それはそれで衝撃的な物だったが、別に祐一と香里が付き合っている訳ではないことを美汐は知っている。
「美坂先輩、私は負けませんから」
 三年生の教室でそう宣言してしまった翌日の朝、美汐は柚子を浮かべた朝風呂に浸かっていた。
 冬至はまだ先の話だが、生憎と美汐は柑橘系のコロンなど持っていない。考え付く最善の案はこれだった。
 四分の一に切られた柚子を水面から掬い取って、美汐はゆっくりと首筋から肩にかけて擦り付ける。
(これで相沢さんは私にも……)
 ちょっとだけ美汐脳内シミュレーション。



『よう天野』
『相沢さん、朝の挨拶はよう、ではなくておはようですよ』
 どこかで聴いた覚えのあるツッコミで朝は始まった。
 めっきり冷たくなった朝風が、美汐の香りを祐一に運ぶ。一瞬驚いた顔をした祐一は、天野に許しも得ず近付いて無遠慮に首筋の匂いを嗅いだ。
『天野も好い香りだ。香里に負けてないよ』
『そんな……事、ありません』
 耳たぶにかかった美汐の後ろ髪を指先で玩びながら、祐一は甘ったるく語りかける。そんな言葉すら、美汐には媚薬だった。言葉と一緒に祐一の呼気が耳たぶを擽る度に、美汐は言いようも無い感覚が背筋をなぞるのを感じる。
『天野の香り……もう少しよく嗅いでみたいな』
 祐一の指が、制服のケープを留めているリボンの結び目にかかり、ぱさりと乾いた音を立ててケープが落ちた。そのまま襟のホックにそっと細い指をかけた祐一は……。



「……」
 紅潮したまま少しだけ考え込んで、美汐は黙々と胸元にも柚子を擦り付け始めた。



「よう天野」
「相沢さん、朝の挨拶はよう、ではなくておはようですよ」
 どこかで聴いた覚えのあるツッコミで朝は始まった。
 めっきり冷たくなった朝風が、美汐の香りを祐一に運ぶ。一瞬驚いた顔をした祐一は、天野に許しも得ず近付いて無遠慮に匂いを嗅いだ。
「天野、こたつで蜜柑か?」




(世界なんて終わりなさい)