それまでと同じく、12月6日は美汐にとって何事も無い一日だった。
 特別な事は何も無かったこの日、彼女は17歳になった。
 誕生日という物に、彼女は屈折した感慨を持っている。
 今にも雪を降らせそうな曇天を見上げて、美汐は小さく溜めた息を吐いて囁いた。
「また、私は1つ歳を取りましたよ」

 誕生日という物に、彼女は屈折した感慨を持っているのだ。

うまれたひに。

〜A.D. VIII ID. DEC.〜

「みしおー、たんじょうびってなに?」
「たんじょうびというのはね、ひとがうまれたひのことなの」
「おたんじょうびってなにするの?」
「みんなでケーキをたべたり、プレゼントをあげておいわいするのよ」
「おばちゃんがいってた『みしおのたんじょうび』っていうのは、みしおがうまれたひのこと?」
「うん! あさってなのよ」
「じゃあ、ぼくのたからものをあげるよ!」
「ありがとう、わたしもたからものを、あなたのたんじょうびにあげるね」

 過去に一度だけ一緒に誕生日を祝ってくれた、掛け替えの無かった大切な『友達』が逝ってしまってから、美汐の心はぽっきりと折れてしまっていた。
 その『友達』は天野美汐という一個の人格を構成する上で、屋台骨や大黒柱に例えられるような存在だった。屋台骨を抜き取られた構造物は、自重に負けて傾く他は無い。実際、美汐はそうなった。
 年月は美汐という存在を傾いたなりに補強し癒していたのだが、傾いたままの美汐は少女と呼ばれる年齢にしては多少いびつな、諦観というものを年齢が必要とする以上に備えた存在に成長してしまっている。

 『友達』。
 それは人ではなかった。
 人に変化する奇跡を得た、あやかしのきつね。
 人に変化する奇跡を得る代償に記憶を失い、人の形を維持するためにその身に与えられた力を徐々に消費し、力を失った途端に消えてしまう。束の間の奇跡の輝き。
 それが、『友達』。

 結局『友達』は、夢が醒めるように消えて居なくなってしまったけれども、その存在が夢幻の類ではなかったことは美汐の宝箱に入っている、嘗て誕生日に彼がくれたガラスのおはじきが示し続けている。
 嘗ては。奇跡を目の当たりにした事を知った美汐は、復活の奇跡をも訪れることを心待ちにしていた。しかし今では、奇跡を待ち望むことも無くなった。奇跡は一度でも現れればそれ自体が奇跡なのであって、度々起こるようでは奇跡ではない。既に変化の奇跡を得た彼の下には復活の奇跡が訪れることはあり得ないのだろうと、現在ではそう美汐は思っている。
 奇跡を諦めてより、美汐は自分の誕生日を迎える度に、幼いまま逝ってしまった『友達』を置き去りにして自分だけが何処かに行っているような、そんな後ろめたさを毎年感じ続けている。

 見上げた曇天は何を語ることも、何を指し示すことも無かった。当たり前の空が、当たり前にそこにある。美汐は軽く頭を振った。ふと、逝った『友達』のことを思ったのだった。
 何を期待して空を見上げたというのだろう。あの空に彼は居ないのに。
 もしも。奇跡訪れたりなば。
 小さく自嘲の笑みを浮かべて、美汐は妄執を掃うように再び首を横に振った。誕生日ということで感傷的になっているのかも知れない。
 気を取り直して、曇り空のせいで暗めの家路を急ぐ。せめて雨や霙が降る前に家に辿り着きたかった。

 家の前でそれを美汐が見つけられたのは、実に危うい偶然だった。
 もしも門柱の影から猫が走り去らなければ、もしも門柱の下に不自然に(庭には植えていない)柊の葉が落ちていなければ、柊の葉の白い裏面の上にそれが置かれていなければ、美汐は全く気付かずに居ただろう。
 柊の葉の上に置かれていた、ガラスのおはじきを見つけて、美汐は眼を見開いた。
「……あの子が?」
 それは数年前に貰った宝物と同じもの。
 偶然だろうか。
 誰が置いたのかも判らない、全く無関係の誰かが只落としただけなのかも。
 いいえ、だけど。
 様々な考えが頭に浮かんで来たが、それらはすぐに消えていった。
 どこから来たのか、誰かの意思が介在しているのか、全然判らないおはじきだが。
 それは、美汐にとっては。

 美汐が嘗て望んだ奇跡には遠く及ばないが、彼女にとってそれはまたひとつの小さな奇跡。
 その夜、美汐は奇跡のかけらを宝箱に大事に仕舞い、そして泣いた。

──じゃあ、ぼくのたからものをあげるよ!
──ありがとう、わたしもたからものを、あなたのたんじょうびにあげるね。

 どんな宝物をお返しにあげようかと考えながら。



(了)


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harbot-anker
2006/05/24 二重に使った指示代名詞を修正『現在ではそう美汐はそう思っている』→『現在ではそう美汐は思っている』